最近のトラックバック

カテゴリー

« 2010年10月 | トップページ | 2011年4月 »

「誰もいない高田松原」(陸前高田市)

陸前高田市の被災状況を見ていらい、何にもする気がおこりません。20代のころは、「海水浴は高田松原」に。30代前半は、自転車のロードレースの大会に出場していたので、「毎年、高田ロードレース大会」には出場していました。30代後半からは、「バードウッチングで年に10~30回は気仙川」に。仕事でも「気仙大橋(45号)」「姉歯橋」「矢作橋」「廻館橋」や、「高田市役所」「高田高校」「高田病院」などの「耐震調査」に出かけたので、陸前高田市とは30数年のかかわりがあります。まったく個人的な話ですが、陸前高田市とは浅からぬ縁がある街なんです。

一番ショックだったのは、「指定避難場所の市立体育館」が水没し、60数名が亡くなりました。自転車の大会の「前夜祭」の場所だったり、表彰式の舞台であったりと(一度2位の銀メダルをいただきました)、思い出深いところなんですが・・・。(合掌)

私は「鳥屋さん」なので、野鳥がいればこそ「野鳥と風景」は撮りますが、ほとんど「風景写真」は撮ることがなかったのですが、偶然フォルダーの中から「誰もいない高田松原」の写真が見つかりました。この「高田松原」は、市民の散歩コースだったり、野外活動センターで合宿する野球チームのトレーニングにだったりと、「必ず誰かはいる海岸」なんです。それが・・・、偶然にも・・・、「誰もいない高田松原」を撮影していました。

江戸時代に「津波から街を守る」為に植えた黒松なそうです。明治の「三陸大津波」には、津波防波堤の役目を果たし、高田の街を守った事実があり、それが・・・、今回は災いしたのかも知れません。地元の人の間では、「松原があるから、津波が来ても大船渡線の鉄道を越えることはない」が共通認識だったとか・・・。(市立体育館が指定避難場所でもあることから、信憑性がありますよね)

690blog00sil

▲ 「高田松原」です。この見事な2キロの松林は見ることができません。「平成の三陸大津波」で、松も全部なくなりました。これまでになるのに200年の時間が・・・。この風景を見るには200年後と言うことですね。

「東北関東大震災」 その7

洋野町で、もっとも低い場所(人家あるところ)が「JR八戸線・大浜川橋梁」のある、宿戸(しゅくのへ)地区です。幹線道路の国道45号線も「大津波警報」が出れば、直ぐに「前面通行止(迂回路なし)」になります。ちょうど1年前に、この場所で通行止になりました。八木地区側だったら、8時間も足止めを食らうところですた。その時は、種市側にいたので、早々と「探鳥を切り上げ」、盛岡に帰ってきました。

※ 前にも書きましたが、気象庁の大津波警報(戦後初の発令)が出て、50センチでしたからね~。(大津波警報は3M、4M、5M、6M、10M以上と数字を入れて発令する)たしか5M以上、場わいによっては10M以上と言ってたような。50センチで「8時間の足止めをくらった人」なら頭にきますよね~。

「311大震災」の第一報のニュースで、「洋野町の鉄橋が流されました」と叫んでいたので、たぶん「大浜川橋梁」だろうと思っていました。実際「洋野町」に出かけてみたら、予想通りと言うか、簡単に流されてましたね~。どうしても「赤字ローカル線」なので、「耐震補強」とか「落橋防止」の工事は、新幹線や本線になるので、列車が走行してなくてよかったですね。走っていれば、間違いなく「人的被害」が出てたでしょう。(この場所は13:30~13:40分の間に上りと下りで2本通過します。その後は15:30分頃の1本の通過ありなので、地震で列車が停止したでしょうから、大惨事は免れました)

■ 「JR八戸線・大浜川橋梁(洋野町宿戸地区)」です。

689blog01sil2

689blog02sil

689blog03sil

▲ 道路橋に比べて、赤字ローカル線の鉄橋は「耐震対策」が貧弱ですね。ピア(橋脚)は残っているのだから、「耐震対策」をしていれば、レールは流されても、橋桁は大丈夫だったような気がします。橋桁さえ残っていれば、復旧は早いですよね。(1~2ヶ月)今回は年単位の時間が必要ではないでしょうか。(最優先は東北新幹線の全線開通でしょうから)

689blog05sil

689blog06sil

▲ 「JR八戸線」では、この場所が(大浜川橋梁)が一番好きな撮影ポイントでした。「鉄道」に興味がない人のは、ただの「風景写真」ですが、好きな人には「キハ40・48系の気動車」にぞくぞくってきます。たまらんバイ。

「東北関東大震災」 その6

「ガソリン難民」なのですが、高速道路が通行可能になったので、「高速のスタンドで給油」を期待して、種市海岸に出かけてきました。高速のスタンドは「待ち時間は無い」のですが、2000円までしかガソリン給油ができませんでした。

軽米インターで降りると、出口近くにスタンドがあるのですが、こちらも「待ち時間無しの2000円の数量限定」でした。

洋野町のスタンドは「待ち時間無しの満タン給油」が可能で、311後に初めて満タンにできましたね~。ほんとラッキー!でした。

「ガソリン難民」がいるのは、盛岡近郊だけのような気がします。県北は、数量限定があっても「待ち時間が無い」ので、ほんと助かりました。

■ 311(さんいちいち)後の「種市海岸」と、その前の「すばらしい種市海岸」の写真を貼っときます。

688blog01sil

688blog02sil

688blog03sil

688blog04sil

688blog05sil

▲ 洋野町は人的被害(死亡0)がありませんでした。ひとえに「津波防潮堤」と「日ごろの避難訓練」が幸いしたと地元の人が言っておりました。確かに、種市の町には「海面より○○M」の看板があちこちにあります。(目安としては20M以上の高さに避難することなそうです)今回も、防潮堤の外にある、水産加工所、食堂、ウニ栽培センターに働いている人が30人ほどいたそうですが、皆さん直ぐに避難したそうです。防潮堤は、人がたっている地面が、海面より4Mほどで、一段目が3Mと、その上に「波返しのある防潮堤」が5Mなので、合計で12Mの高さですか。この防潮堤を津波が超えることがなく、家も人も被害がなかったそうです。

688blog06

688blog07

688blog08

688blog09

688blog10

688blog11

688blog12

688blog13

▲ 震災前の「種市海岸のコクガン」です。なぜにコクガンが種市海岸に集まるかは、岩礁の海草が豊富だからでしょう。今回の津波で、「種市海岸の岩礁の海草」は綺麗に洗われ、ただの「石ころ」になってしまいました。来シーズンがどうなるかはわかりません。

688blog14

▲ 2003年3月22日に撮影した「ミサゴが営巣する岩」ですが、(岩はありましたが、少し崩れてました)、ミサゴは営巣しておりませんでした。この写真は仲良く4羽ですので、同じ家族だと思います。(たまたま一緒に渡ってきたのでしょう)でなければ、営巣場所の争奪戦がおこなわれます。(内陸の雫石で観察あり)

「東北関東大震災」 その5

震災から2週間がたちました。ニュースは連日連夜「震災か原発」ですよね~。「震災のニュース」は信用できるが、「原発のニュース」は、はっきり言って「話半分」で聞くことにしてます。と言うのは・・・、マイフィールドの「御所湖にソデグロツルが飛来」した時に、「電力会との交渉を経験」してた事があるからです。

毎日、毎日「グループにわけて計画停電をする」とか言ってますが、これって、電力会社の「ストライキ」と言うか「恫喝」ですよね。ようは「原発を容認しなければ、いつだって停電にするぞ!」と、東京都民を脅してるのです。(東北電力もポーズで手を上げて協力姿勢)

■ まずは、2005年10月30日に御所湖に飛来した「ソデグロツル」の写真を

687blog01

687blog02

10月30日に「ソデグロツル」を見つけたのはいいのですが、次の日の朝、御所湖に出かけたら「なんか水位が上がってる」ような気がして、その翌日に「御所湖の中洲が沈没」したので、雨が降らないのに「間違いなく水位の上昇してる」と確信し、御所ダム管理事務所に「ダムの水門を閉めないように」お願いにいきました。

ダム管理事務所の話では、水位は「発電の為、岩手県企業局が管理している」とのことで、らちがあかないので、「企業局」にでかけました。そうしたら「東北電力から聞かなければ、勝手に水位を調整できない」と・・・。

早い話が、「国交省」よりも「岩手県」よりも、「東北電力のさじ加減」で、御所湖の水位が管理されていると言うことなんです。普通は考えられないことなんですが「お役所さまより、民間会社の電力様」なんですね~。(東北電力はえらいんです)

交渉事の詳しい内容は「ブログには書きません」が、東北電力盛岡支店の会議室に出かけました。(テロ攻撃にも耐えられるような分厚いコンクリートの壁のビルの中。セキリティチェックも凄く厳しかったですね。)会議室には10人位がゾロゾロと「数で私を圧倒しようとしたのかも知れませんが、逆に「闘志」がわいてきました。

早い話が、「野鳥1羽の為に、発電をストップするわけに行かない」「御所湖の水位は計画通り上げ、発電を岩手県企業局にお願いします(ほとんど命令)」と・・・・。私は、「そこまでおっしゃるなら、仕方がないですね~。どうぞ水位を上げて発電してください」と。

しか~し、今日のここでの話は、全部自分のHPに「公開」するので、「1週間後に電力社長と増田知事の謝罪会見がないことを願ってますよ。なんせ、本物のレッドデーダブックに記載されている、世界の珍鳥ですからね~。環境にやさしい岩手県、エコを宣伝する電力会社のイメージダウンをしますよ。」

最後のきめ言葉は「知事選挙も近いし、100株ですが、私、東北電力の株主です。(事実です)総会が楽しみですね」と言って席を立ちました。(正確には立とうとしたら)

「ちょっと待ってください」「30分時間を下さい」「仙台と協議します」と・・・・。こう言うことに対しての「頭の回転」は早いみたいで、30分後の結論は「御所湖からソデグロツルが飛び立つまで水位は現状維持します。(餌が捕れると言うことです)

後から私がこ耳にはさんだ話として「女川原発が休止中で、喉から手がでるほど「電力」がほしかったそうです。(東北の冬は厳しいので、電力が逼迫する)そんなもんで、「東京電力福島発電所(原発)から、電力を買わなければならなかった(1日何百万らしい)」とか。

※ 今日は、あまりにもニュースで「福島原発」が騒がしいので、「ソデグロツルと電力の話」を思いだしてしまいました。

「東北関東大震災」 その4

気仙川河口に探鳥に出かけて20年近くたちますが、「高田松原」には8Mほどの津波防潮堤があるし、河口から3キロ上流まで、両岸に8Mの堤防があるので、安心して「鳥見」をしてました。とりたてて、「風景(環境写真)」は撮っていなかったので、あまり数は持っていません。が、その中から、数少ない「気仙川の環境写真」を、自分のファイルから何枚か探し出したので、「震災前」と「震災後」を見てください。(目当ての鳥もUP!します)

684blog01a

684blog01b

684blog01x1

684blog01x

▲ 気仙川河口から5キロほど上流に「JR大船渡線・気仙川橋梁」があります。(赤い鉄橋です)この場所は20年ほど前に、仕事で縁があって(矢作橋)、毎日この場所で「BWをしながら昼食」を食べてました。 最近では2009年に「廻館橋」(鉄橋の奥の橋)の仕事に来たので、私のかかわった2橋(矢作橋と廻館橋)は、津波に負けませんでした。20年通いつめていますが、「南三陸のベスト探鳥地」ではないでしょうか。いまだに10M以上の津波がここを通過して、7キロもさかのぼったなんて、信じられません。

684blog02a_2

684blog02b

684blog02x

▲ 対岸のコンクリートの建物の屋上に、高田松原の太い松が乗り上げてます。津波のパワーはものすごいものがあります。それと・・・、堤防を見てもらえればわかるのですが、「コンクリート護岸」は壊れてません。昨今の風潮として(何もわからない自然保護団体が)コンクリート護岸工事は駄目と・・・。何かと言うと「自然にやさしい」と訴えますが、コンクリートの防潮堤、コンクリート護岸が無ければ(土の堤防ならば)、今回の「東北関東大震災クラスの地震」では、間違いなく10倍の死者(20万人)が出たと思います。

684blog03a

684blog03b

684blog03x

684blog03xx

684blog03xxx

▲ 気仙川河口の象徴的な橋である「姉歯橋」です。鉄のトラスト橋ですが、以前は地味な「灰色」でしたが、今年の2011年3月20日工期(完成)で、「薄緑色」にお色直しをしてました。もう「完成検査待ち」だったと思いますが、大津波のパワーに押し流されました。そうそう、「姉歯橋」と言えば、「ハジカイの夏羽の撮影ポイント」ですね。

684blog03xxxx

▲ 「オカヨシガモ」です。20年前は気仙川河口でも、ほとんど見ることができなかったのですが、2000年以降、50±の数を見れるようになりました。岩手県沿岸では、宮古市より北が「シノリガモ」がよく見れて、宮古市より南が「オカヨシガモ」がよく見れますね。

684blog04a

684blog04b

▲ 「高田松原」をバックに、「コクガン」を撮影してみました。実は・・・、3月11日は、「高田松原とコクガンの撮りなおし」に来る予定でした。やはり、「青い空と海」でなければ「三陸の野鳥写真」ではないので・・・。でも、あまり「欲張らない」のが幸いしました。臨機応変に「鉄道写真」になったり、「滝の写真」になったりと、わけのわからないことをやりだしたお陰です。それに「デジ一眼での動画」も・・・。

「東北関東大震災」 その3

内陸100キロに住んでいますが、大方の岩手県人は「地震だ!津波だ!すぐ逃げろ!」が頭に入っています。個人的には、海岸に出かけて「津波注意報」に遭遇し、非難したことが2回あります。が・・・、その中で、ちょうど1年前の(2010年2月28日。Am9:30頃)「大津波警報での肩透かし」がありました。地震があれば、三陸海岸では「津波警報」はそれほど珍しくはなく、頻繁にテレビ、ラジオ、や消防団の巡回でわかります。

その時は「大津波警報」が初めて気象庁から発令されました。(大津波警報は5M以上の津波だったと思います)洋野町の八木地区の国道45号線が「通行止」になり、防潮堤の水門も閉められ、「コクガン観察」が出来なかったので、今でも鮮明に覚えてます。「津波」は50センチでした。その時は「津波警報で50センチなら納得できるが、大津波警報で50センチなら、大事な休日を返してくれ!」と怒りましたもん。正直に言えば「気象庁(仙台管区気象台)の大津波警報はあてにならない」と。初めての大津波警報の発令が、「気象庁のパホーマンス」じゃないかと疑いましたね~。

今回の「東北関東大震災の大津波警報」も、1年前の「大津波警報」があるから、実際、沖合いの津波を見て、あわてて避難した人もいたんじゃないかな~。または、10Mの防潮堤で街が守られているから、「大丈夫」と考えていた人も(大津波警報と言っても1Mの津波も来ないと判断)いたことでしょう。

気象庁(仙台管区気象台)の罪は重いです。

■ 「東北関東大震災」の大津波で、一人の死者も出さなかった町がありました。私がよく「コクガン観察」に出かける洋野町です。ちょうど2年前に完成した防潮堤(高さ12M+1、5M=13、5M)が、その威力を見せてくれました。ちまたでは宮古市田老町の高さ10Mの津波防潮堤が有名ですが、(地元では世界一の防潮堤と言ってます)今回の大津波では防ぐことができませんでしたね。今後は「種市海岸の防潮堤が世界標準」になるんではないでしょうか。

683blog01

▲ 2010年2月28日は、チリでの巨大地震だったので、ゆれがなく、「いきなり大津波警報」が出て、水門の中に退避されました。消防団の人の話では、遠隔操作(久慈市とか言っていた)で、2分で水門が閉めることが出来るようなことを言ってました。当然間に合わなければ、車をすて、防潮堤の階段を登って逃げなければなりません。

683blog02

▲ いつも津波防潮堤の外に出て撮影してます。波が高い時は、「ライフジャケト着用」で撮影してます。数年前でしたが、「双眼鏡にライフジャケット」ですから、「密漁監視員」に間違われて、テトラポットから、あきらかに密猟者が3人ほど走って逃げていきました。

683blog03

▲ 種市海岸は「サーフィンのメッカ」なので、よくサーファーが出没します。2000年以前は、3月だとほとんどサーファーは見ることがなかったのですが、「スーツの素材」が良くなったのか、真冬でもいい波の時は、サーファーを見ます。

683blog04

▲ 「種市病院」です。どんな大津波が来ても大丈夫なように、「役場と病院」は高い所に建てるのが常識なのですが・・・、そうでない町もありました。役場も病院も全壊でしたね。

「東北関東大震災」 その2

仕事がら、「震災」には縁がある関係で、いろんな所に出かけてきたが、今度の「東北関東大震災」は想像以上のひどい被害です。個人的な思いですが、「過去最高、一番ひどい」ですね。

「阪神大震災」後に、全国的に、いろんなビル、橋、などは「耐震基準の見直し」で、補強工事が行われたので、地震による「崩壊」はありません。陸前高田市でも、4橋が落橋してましたが、すべて「津波」によるもので、地震の揺れでの落橋はありませんでした。日本全国、巨大な地震があっても「ます大丈夫」と言うことです。

木造住宅の崩壊も、地震によるものではなく、「津波による崩壊」でした。古い木造の「市営住宅」がひつつも壊れていなかったので、(山の中腹にある不便な場所が幸いでした)やはり「津波のパワー」は怖いですね。

陸前高田市しで撮影した写真をまずは見てください。

682blog01sil

▲ 鉄道の「気仙川橋梁」です。落橋してますが、川の流心の桁は、鋼鉄製なのですが、100M上流まで押し流してました。もっと驚いたのはピア(橋脚)のひとつが、150Mも押し流していたのに、口があんぐりです。(コンクリートの塊なので100トンはあるんじゃないかな?)

682blog02sil

▲ 「気仙川サケマス増殖場」が跡形も無く、泥砂とがれきの山になってました。

682blog03sil

▲ 「矢作橋(矢作川)」の上から、矢作川上流を撮影しました。気仙川河口から5キロも上流で、直角の支流なのですが、車も下から押し流してます。

682blog04sil

▲ 「陸前高田市街の中心部」です。雰囲気のあった木造駅舎の「JR陸前高田駅」も阿智方も無く、ただのがれきになってしまいました。

682blog05sil

▲ 気仙川の象徴だった「姉歯橋」の袂から、陸前高田市街を撮影しました。

682blog06sil

▲ 「姉歯橋のピア(橋脚)」だけが残ってます。ただ、大きな亀裂が垂直に入っていたので、もう使い物にはならないでしょう。

682blog07sil

▲ 「姉歯橋の本体」です。ピア(橋脚)から200Mほど押し流してました。2週間前に気仙川に出かけた時に、「塗装工事」が行われてましたが、綺麗に色なおしが行われたぶん、無常を感じます。歩道端の一部は、廻館橋下まで流れていたので、津波が3キロも押し流したことになります。

682blog08sil

▲ 気仙川北側の堤防から、高田中心市街を撮影しました。

682blog09sil

▲ 「JR陸前高田駅」手前1キロほどの場所です。線路の枕木も見えないほど、大量の砂が海から運ばれました。

682blog10sil

▲ 「車の持ち主さん」は大丈夫だったのだろうか?

682blog11sil

▲ 「ランドセルの持ち主」は、無事逃げることができたのだろうか。

 

「東北関東大震災」 その1

大震災から10日。「ガソリン難民」の私は、気仙川河口(陸前高田市)の野鳥たち」がずっ~と気になっていました。ようたく公共交通機関のバスが復旧したので、今日、陸前高田市に出かけることにした。

午前7時30分に「盛岡駅東口バス乗り場」に到着してみたら、(発車1時間前)すでに長蛇の列でした。釜石線は150人、大船渡線は100人、陸前高田線は50人と言うところでしょうか。

680blog01_2

▲ 2011年3月20日。 釜石、大船渡線は定期便ですが、陸前高田線は急遽「臨時便」を作ってくれました。岩手県交通さんには感謝、感謝です。

この臨時便は盛岡から高田まで、ノンストップの直通便なのですが、私の行きたい場所は「廻館橋(気仙川)」なので、途中下車すれば、終点から3キロほど戻らなくてすみます。思いきって、駄目もとで「車掌さん(バスガール)」に言ってみることにしました。そうしたら、頭の固い2つ前の客(60代の老夫婦)が「途中下車は駄目でしょう」と大きい声で言うので、その倍の大きい声で、「廻館橋で下車できれば、矢作遺体安置所に直ぐ行ける。終点から3キロも4キロも歩いて戻るなんて馬鹿馬鹿しい。一刻もはやく安否確認がしたくて、みんなバスに乗ってきてるんだから、信号で止まる時間より、下車時間は少なくて済む。まして、路線をかえて寄り道してくれと頼んでるわけでない。それに陸運局に申請している定期便でもないでしょう」と・・・・。

岩手県交通の車掌さんと運転手さんは「お客さまの言う通りです。一刻もはやく行ってあげてください」と、話のわかる人でした。私一人が下車するのかと思いきや、5、6人の人も降りたので(降りてから、言ってくれてありがとうと感謝されました)、まあ~よかったです。声の大きさは人には負けません。

680blog02

680blog03

▲ 2011年3月20日 「廻館橋(気仙川)」から見た下流のがれきの山と廻館橋です。この橋と河口の間には4つの橋があるのですが、全部落橋し、津波で橋じたいが上流に流されてました。気仙川河口から5キロほどの所ですが、橋の高欄(こうらん)の上を津波が越えて、7キロ上流まで、「津波の痕跡」が見られました。この橋超えると言うことは、津波の高さは推定15M~20M位だと思います。海岸の津波防潮堤(10M)は跡形も無く、高田松原の松ごと、何もありませんでした(2キロ手前で、双眼鏡で確認)

680blog04

▲ 2011年3月20日。 目当ての「クビワキンクロの観察ポイント」に到着。1時間ほど腰をおろして観察しましたが、クビワキンクロは見ることができませんでした。左の樹木の半分の高さに「津波の痕跡」があったので、12M~15Mの高さの津波は来たことになります。河口より5キロほど上流ですが、川に5、6台の車がひっくり返っていたので、ここで「クビワキンクロ」を見ていたら、間違いなく「水死」していたでしょう。強い地震があっても、5キロもさかのぼって、津波が来るとは思いませんもん。川の水面より3Mは高い所に駐車するので、安心感はあるんですよ。

つらつら考えるに、三陸でのバードウォッチングは「地震が着たら、20M以上の高台に直ぐ逃げろ!」ですね。いままで、10Mの高さ、河口より4キロ以上離れていれば「大丈夫」の感覚だったので、倍の高さと距離(20Mと河口より8キロ)が、「安全数値」になりました。

« 2010年10月 | トップページ | 2011年4月 »

2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ