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「誰もいない高田松原」(陸前高田市)

陸前高田市の被災状況を見ていらい、何にもする気がおこりません。20代のころは、「海水浴は高田松原」に。30代前半は、自転車のロードレースの大会に出場していたので、「毎年、高田ロードレース大会」には出場していました。30代後半からは、「バードウッチングで年に10~30回は気仙川」に。仕事でも「気仙大橋(45号)」「姉歯橋」「矢作橋」「廻館橋」や、「高田市役所」「高田高校」「高田病院」などの「耐震調査」に出かけたので、陸前高田市とは30数年のかかわりがあります。まったく個人的な話ですが、陸前高田市とは浅からぬ縁がある街なんです。

一番ショックだったのは、「指定避難場所の市立体育館」が水没し、60数名が亡くなりました。自転車の大会の「前夜祭」の場所だったり、表彰式の舞台であったりと(一度2位の銀メダルをいただきました)、思い出深いところなんですが・・・。(合掌)

私は「鳥屋さん」なので、野鳥がいればこそ「野鳥と風景」は撮りますが、ほとんど「風景写真」は撮ることがなかったのですが、偶然フォルダーの中から「誰もいない高田松原」の写真が見つかりました。この「高田松原」は、市民の散歩コースだったり、野外活動センターで合宿する野球チームのトレーニングにだったりと、「必ず誰かはいる海岸」なんです。それが・・・、偶然にも・・・、「誰もいない高田松原」を撮影していました。

江戸時代に「津波から街を守る」為に植えた黒松なそうです。明治の「三陸大津波」には、津波防波堤の役目を果たし、高田の街を守った事実があり、それが・・・、今回は災いしたのかも知れません。地元の人の間では、「松原があるから、津波が来ても大船渡線の鉄道を越えることはない」が共通認識だったとか・・・。(市立体育館が指定避難場所でもあることから、信憑性がありますよね)

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▲ 「高田松原」です。この見事な2キロの松林は見ることができません。「平成の三陸大津波」で、松も全部なくなりました。これまでになるのに200年の時間が・・・。この風景を見るには200年後と言うことですね。

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コメント

震災前はこうだったんですね。読売オンラインで読んだ記事にこんなのがありました。

        ↓

「名勝「高田松原」奇跡の1本、復興の象徴へ」

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110324-OYT1T00907.htm?from=tw

みやけさん、こんにちは。

>「名勝「高田松原」奇跡の1本、復興の象徴へ」

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110324-OYT1T00907.htm?from=tw

こんな記事があったんですね。知りませんせんでした。紹介してくれて、ありがとうございます。

昨日、陸前高田市に出かけてきましたが・・・
気仙川河口の水門がある所に、被災者とは関係ない人たちが、「デジカメ」や「携帯」で、松を撮影していたので、不思議に思っていましたが、こんな事だったのですね。(私は野鳥観察をしていたので、対岸から双眼鏡で見てました)


はじめましてこんにちわ^^

突然で申し訳ないのですが
高田松原のこのキレイな風景。
いただいてもよろしいでしょうか?

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