最近のトラックバック

カテゴリー

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

心のバランスが壊れました。

大震災から、「心のバランス」が可笑しくなってしまいました。何を(仕事も趣味も)しても、もやもや感があり、心がすっきりしません。思いあたるのは、「生かされた命」との思いがあるからだと思います。3月11日は「陸前高田市に出かけてクビワキンクロの取り直し予定」でしたが、車の調子が悪く、12日も土曜で休みだから、無理に出かけないで、「盛岡駅で新幹線はやぶさの撮影」をしていました。今にして思えば、「1ヶ月前から鉄道写真に熱中」したのも、「車の調子」が可笑しくなったのも、「偶然3連休」になったのも、不思議な事ばかりです。

盛岡近郊はフキノトウが顔を出し、「いつもの春」なんですが、三陸海岸に出かければ、「悲惨な現実」があります。あまりにもの変化に「心のバランス」を壊してしまいました。693blog01sil

693blog02sil

693blog03sil

▲ 2011年4月5日 内陸は「いつもと変わらぬ春」ですが、三陸は一ヶ月近くになろうとしているのに、「時間が止まったまま」です。

693blog04sil

▲ 「気仙川河口」や「流域」にいた野鳥たちは、かなり奥(河口から10~20キロ)に非難しています。カワウを住田町で見ることはなかったですから。

693blog05sil

▲ 三陸の海には似合わない艦船です。軍事マニアではないので、詳しくはないですが「米軍の艦艇」ではないでしょうか。自衛隊の艦船なら「4桁のナンバー(数字)」が白くペイントされているはずですが、ペイントがないので「実戦モードの米軍か?」と思ったしだいです。

693blog06sil

▲ ミサゴは抱卵してました。例年、早くても3月20日過ぎなので、「大津波」は見ていないと思います。

高さ38Mの津波(宮古市田老地区)が・・・

三陸海岸をフィールドにしている者としては、「平成三陸大津波のチェック」は、どうしてもやっておかなければならないので、昨日は宮古市田老地区に出かけてきました。私のライフワークである「シノリガモ」は、真崎海岸(田老地区真崎)で撮ったのが、一番のお気に入りですね~。なぜか、漁港ではないのに、外洋に向かって巾4M×長さ50Mの埠頭が1箇所あるのですが、車止めもなく、すごく緊張する場所なんです。冬シーズンは、漁師さんも、観光客も「一人として、一度も見たことがない、寂しい場所」なんですね。当然、津波注意報が出ても、広報車もこないでしょう。(真崎漁港から、北に車で15分走行します。人家も番屋もありません)

今は、田老地区のどの海岸、漁港に行くにも、一旦国道45号線に出なければ行けない状態です。以前のように、自由自在に、県道や町道を走れるようになるのには、2年や3年では無理でしょう。5年はかかるような気がしますね。

692blog00sil

▲ この海の色は「三陸の、それも田老地区真崎の海」でなければ出せません。外洋に突出た埠頭から撮るのですが、高波が来たら車ごと波をかぶるので、「天気予報」はつねに注意して出かけなければ、大変な事になります。

692blog01sil

▲ 「田老漁港」の直ぐとなり(漁港から100M)にある「山王岩」です。撮影は標高165Mの展望台からです。下の笹が茶色の変色しているので、大津波のしぶきは150Mの高さまで上がったのでしょう。

692blog02sil

692blog03sil

▲ 真崎灯台南側の海岸です。撮影は海から100Mほど離れた標高30Mの場所です。後ろを振り向いて、「津波の痕跡」を見たら、標高40M(国土地理院の地図から)まで海水が来てましたね~。今回の「大津波」では、たぶん最高値(40M)ではないでしょうか。

692blog04sil

▲ 国道45号線から、最短距離で真崎海岸に出る町道です。撮影地点は、海岸から500M入った標高30Mの所です。下には人家一軒と、番屋が3小屋ほどあったのですが、すべて何もなくなってました。

692blog05sil

692blog07sil

▲ 世界的に有名な「田老の万里の長城(高さ10M×長さ2キロの防潮堤)」でしたが、海側に倒れてました。「引き波」のパワーは凄いですね。田老地区は「明治の三陸大津波」と「昭和のチリ地震大津波」で、壊滅的な被害をこうむり、戦後いち早く「津波防潮堤」を作り、「モデル津波防災都市」で、内外に有名でしたが・・・、ひとたまりもありませんでしたね。中心街はほぼ壊滅でした。

692blog06sil

692blog08sil

▲ 人口密度で見れば「田老地区の被災者(死亡者600人か?)」が一番でしょう。大津波の高さが田老漁港では20Mほどですが、2キロ北の真崎海岸では40M弱の高さです。世界に誇る防潮堤があっても街は守れませんでした。

菅直人首相が陸前高田市に・・・。

私は昨日「陸前高田市」に出かけてきたのですが・・・、「高田松原」に行こうとしたら「警備が厳しく」(パトカーが1台常駐)、一般車両は通行止で、歩きでも駄目でした。何のことはない、今日のニュースで「菅直人首相が高田松原を視察」のニュースが・・・。

菅首相の言葉 「夏には大勢の海水浴が来る、名勝なそうですね。」と・・・。

トンチンカンな映像が流れていましたね~。なぜに「高田松原」を視察するのか、私には理解不能です。観光客気分と言うか、誰でも知ってる高田松原をバックに全国放送を意識したパフォーマンスとしか思われません。その手前の「国道45号バイパスの気仙大橋」が落橋してます。(6スパン×50M=300Mの鉄の大橋です)

私だったら、「300Mの気仙大橋の落橋には驚きました。鉄の塊を500Mも押し流す津波のパワーは凄いですね。直ぐにでも、自衛隊に仮橋を作らせます。その後は、今回の津波規模が来ても落橋しない橋を、菅内閣の名にかけて、必ず作ります。陸前高田市民に菅直人がお約束します。」とでも言うのですが・・・。

691blog01sil

691blog02sil

691blog03sil

▲ 「高田松原」です。菅首相の視察のお陰で、「立ち入り禁止」で、対岸からの撮影です。野鳥観察が主目的ですから、別にどうでもいいのですが、まだ「行方不明者が1000人以上いると言われている陸前高田市」に、わざわざ視察に来るパフォーマンスなんて、「被災者の感情」を逆なでしてます。そのてん、天皇陛下は「東京の避難場所を訪問」し、「被災地が落ち着いてから訪問します」とやさしいお言葉をのべました。

691blog04sil

▲ 「陸前高田市営野球場」です。高田松原と国道45号線の間にある野球場なんですが、完全に「水没」してました。地盤沈下か高田松原の砂を全部押し流したのかわかりませんが、国道45号線ぎわまで海(海水が来てた)になってました。たとえ復興できたとしても、この場所では「野球」はできないでしょうね。いつ津波で水没するかわからないので、落ち着いて野球をすることができません。

そうそう、双眼鏡で鳥見をしていたのが珍しいのか、変わったニュースが欲しいのか、いろんな「新聞社」「テレビ局」に声をかけられて大変でした。(取材はすべてお断りです)

陸前高田市では、「一番嫌いなのが菅直人さん、二番目がマスコミ」と被害者の皆さんが言っていたのを小耳にはさみましたね~。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ