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会社の机の上に「岩手日報(2021年5月4日)/早池峰にライチョウ?」の新聞が・・・。

私が「岩手日報」を購読してない事を知ってるので、親切にも「岩手日報(2021年5月4日発行)/早池峰にライチョウ?」の新聞が机の上に置いてあった。

最初は「えっ!」と思い、「ありえん話だよな~」とも・・・。

良く記事を読んでみたら、「クマゲラの藤井忠志さん」の取材記事だった。

1 「愛媛県総合博物館のはく製標本」が愛媛県西条市の西条高で2016年に見つかった。

2 はく製のラベルに「陸中」と記されていた。(現在の岩手県中部と秋田県の一部)

3 生息地と知られる中部地方以外で採集されたはく製の発見は日本初

4 採集年月日の「38/12]という数字は、1905年(明治38年)12月を指すと考えられる。

5 藤井さんは「ハイマツなどライチョウが生息する条件が整っているのが早池峰山で、証言も圧倒的に多い。東北の一大生息拠点だったのだろう。はく製は早池峰山で採集されたものと考えている」

6 NPO法人本州産クマゲラ研究会は昨年から早池峰山での調査に乗り出した。昨年7,8月の3日間、早池峰山で「コールバック調査」を実施。鳴き声の録音を流して縄張り意識が強いライチョウを誘い出し、写真を撮るのが狙いだ。

藤井さんに悪いが、「早池峰山にライチョウなんて・・・ありえん話だと思う。1990年~1995年まで、自由に早池峰登山道路(現在は夏場はマイカー規制)に車が入れたたので、「アオバト」「コマドリ」「コルリ」狙いで、夏場50日は入山したが、「ヤマドリ雌」を見る事はあったが、ライチョウは気配も感じなかった。ライチョウの雄なら飛出したら「初列が白いから、まず誤認はしない自信あり」で~~す。

まあ、岩手日報の「はく製ライチョウ写真」と「はく製ラベル表記」を見たら、シギチ屋なもんで、「一瞬で間違いだらけのはく製標本」とわかります。

1 和名 ライチョウ(冬羽)   ※オラは夏羽と同定します。

1905年(明治38年)は、前年「日露戦争」勃発で(明治37年)、日本中が「大騒ぎの時代」だったのでしょう。

「はく製政策」のお客さんは(注文者)、「大学の学者さん(当時ははく製をいっぱい集める事が仕事)だったと思われます」が・・・、盛岡高等農林学校/農学・林学・獣医(現・岩手大学)の開設は1903年ですし、「盛岡高等農林・御明神演習林」は1905年に開設なので、「ライチョウのはく製依頼をしただろうか?それと~、プロの学者が夏羽と冬羽を間違えるなんて考えられないです。

「早池峰山は修験者の神の山」だったので、明治時代に「マタギ(猟師)文化」があったかどうか。ライチョウは素人では捕獲は無理だと・・・。マタギ文化は雫石町と沢内(西和賀町)だけかな?

雫石マタギは「一人で山に入り熊をし止める」のが伝統で、古文書にも記録あり。(古文書ではオオカミ撃ちが仕事だったらしい。オオカミ一頭に米3表とかお金が記録されてる。熊の目当てで(薬用)で、肉と毛皮はマタギのもの。

我が町雫石町は「藩政時代」から「マタギ(猟師)が代官所に猟銃の登録(年に一度代官所での猟銃撃ちをして鑑札をもらう。古文書あり)、明治元年の戊申戦争ではマタギが借りだされた(狙撃兵と言うかスナイパーで、藩の指揮を外れ、自由に奥羽山脈を歩き、官軍の指揮官を狙い撃ち。明治時代になっても、指揮官を銃殺したマタギの手配書あり。当時南部藩の武士は鉄砲を撃ってもあたらなかったらしい。)

オラの推測ですが・・・

はく製注文は「京都大学の学者さん」で、ライチョウは京都から近い立山あたりで「マタギさん(猟師)が捕まえ」、学者さんから指定されたはく製屋(島津製作所表本部)の持ち込み、「ライチョウのはく製が完成」したと。

採集年月日の「38/12」は、はく製完成年月日ではないでしょうか。(12月中に完成し、正月の餅代になると・・・)冬に奥山に入るなんて考えられない。

学者さんも「ライチョウが真白(冬羽)」だとは、当時はマタギさんも学者さんも知らない事だったのでしょう。「真冬&春先に立山に入山」するなんて「命がいくらあっても足りない」。

シギチ屋のオラは「夏羽、冬羽」にうるさいので・・(笑)

「早池峰山」は毎日自然観察人(パトロール)が頂上まで入山してるので、コンパクトカメラ(望遠だと、万が一ライチョウが撮影できても、立山か早池峰か分からなくなるから)かスマホカメラでの「ライチョウ撮影依頼」をすれば、「早池峰山のライチョウ?」は簡単に解決できるとおもう。年間3日間の調査なら「宝くじもん」だと思いますよ~。

30年前を思いだし、野鳥マタギハンターのオラが・・・「早池峰へのGo!」はしません。

「野鳥写真家」から「野鳥愛好家」になんたもんで。

※ 「写真」をクリックすると大きな画像(1000x666)で見る事ができます。

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▲ 2021年5月4日/岩手日報

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