母が逝ってから半年が・・・。
母が享年95歳(老衰)で逝ってから昨日で半年の時がたった。
やっとブログを書いてみる気分になった。
母との約束は「施設に入所させない。健康なら最後まで家で看取る」だったので、15年間(要介護3から5に変化したが)一緒に生活できたので私は満足してる。介護生活は365日のヘルパーさんの支援。月2回の訪問診療。月2回の訪問看護。月4回の訪問リハビリ。月4回の訪問入浴。月1回のケアマネージャーの訪問。介護サービスを目いっぱい利用できたので、一度も辛い、大変と思った事が無い。皆様には感謝、感謝しかありません。
生前母は「電飾を必ず飾ってくれ」だったので、近所では何処も電飾を飾る家は無い(皆さん提灯を飾る)が、母の願いで飾る事にした。
2015年過ぎから、「自宅に居ながらアオバトの鳴き声を聞く」ことが普通にあり、耳と音感のいい母親に「アオバトだよ」と教えたら直ぐ覚えてくれた。
母の覚えていた野鳥の鳴き声は「ウグイス」「カッコウ」「ホトトギス」の3種類だけだったが、アオバトとアカショウビンの声も覚えてくれたので、「カッコウが泣いた」とか「アオバトの声聞いた」とか「アカなんとかという声も2回聞いた」とか、バードウォッチングを自宅の部屋に居ながらできた。
夕食後は歌がだい好きだったので、パソコンで「懐かしい歌謡曲。民謡」を週1回2時間の歌謡タイムにした。
母も私も「おしゃべり」なので、朝、昼、夜と会話は途切れる事がなく、おまけに母は「野鳥の声を聴かなければならない」「ヘルパーさん、看護師さん、リハビリさんとのお話しなければならない」から、毎日の生活が忙しかったと思う。
母は70過ぎから「アオバトの声」を覚え、「息子の好きな野鳥の会話をする」と言う向上心には脱帽でした。
母との最後の言葉は、母は「もういいから自由に生きろ」。
私は「わかったよ」と返事した。
お互いに平常心で、気持ちが高ぶる事も、涙することもなかった。
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