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心のバランスが壊れました。

大震災から、「心のバランス」が可笑しくなってしまいました。何を(仕事も趣味も)しても、もやもや感があり、心がすっきりしません。思いあたるのは、「生かされた命」との思いがあるからだと思います。3月11日は「陸前高田市に出かけてクビワキンクロの取り直し予定」でしたが、車の調子が悪く、12日も土曜で休みだから、無理に出かけないで、「盛岡駅で新幹線はやぶさの撮影」をしていました。今にして思えば、「1ヶ月前から鉄道写真に熱中」したのも、「車の調子」が可笑しくなったのも、「偶然3連休」になったのも、不思議な事ばかりです。

盛岡近郊はフキノトウが顔を出し、「いつもの春」なんですが、三陸海岸に出かければ、「悲惨な現実」があります。あまりにもの変化に「心のバランス」を壊してしまいました。693blog01sil

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▲ 2011年4月5日 内陸は「いつもと変わらぬ春」ですが、三陸は一ヶ月近くになろうとしているのに、「時間が止まったまま」です。

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▲ 「気仙川河口」や「流域」にいた野鳥たちは、かなり奥(河口から10~20キロ)に非難しています。カワウを住田町で見ることはなかったですから。

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▲ 三陸の海には似合わない艦船です。軍事マニアではないので、詳しくはないですが「米軍の艦艇」ではないでしょうか。自衛隊の艦船なら「4桁のナンバー(数字)」が白くペイントされているはずですが、ペイントがないので「実戦モードの米軍か?」と思ったしだいです。

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▲ ミサゴは抱卵してました。例年、早くても3月20日過ぎなので、「大津波」は見ていないと思います。

高さ38Mの津波(宮古市田老地区)が・・・

三陸海岸をフィールドにしている者としては、「平成三陸大津波のチェック」は、どうしてもやっておかなければならないので、昨日は宮古市田老地区に出かけてきました。私のライフワークである「シノリガモ」は、真崎海岸(田老地区真崎)で撮ったのが、一番のお気に入りですね~。なぜか、漁港ではないのに、外洋に向かって巾4M×長さ50Mの埠頭が1箇所あるのですが、車止めもなく、すごく緊張する場所なんです。冬シーズンは、漁師さんも、観光客も「一人として、一度も見たことがない、寂しい場所」なんですね。当然、津波注意報が出ても、広報車もこないでしょう。(真崎漁港から、北に車で15分走行します。人家も番屋もありません)

今は、田老地区のどの海岸、漁港に行くにも、一旦国道45号線に出なければ行けない状態です。以前のように、自由自在に、県道や町道を走れるようになるのには、2年や3年では無理でしょう。5年はかかるような気がしますね。

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▲ この海の色は「三陸の、それも田老地区真崎の海」でなければ出せません。外洋に突出た埠頭から撮るのですが、高波が来たら車ごと波をかぶるので、「天気予報」はつねに注意して出かけなければ、大変な事になります。

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▲ 「田老漁港」の直ぐとなり(漁港から100M)にある「山王岩」です。撮影は標高165Mの展望台からです。下の笹が茶色の変色しているので、大津波のしぶきは150Mの高さまで上がったのでしょう。

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▲ 真崎灯台南側の海岸です。撮影は海から100Mほど離れた標高30Mの場所です。後ろを振り向いて、「津波の痕跡」を見たら、標高40M(国土地理院の地図から)まで海水が来てましたね~。今回の「大津波」では、たぶん最高値(40M)ではないでしょうか。

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▲ 国道45号線から、最短距離で真崎海岸に出る町道です。撮影地点は、海岸から500M入った標高30Mの所です。下には人家一軒と、番屋が3小屋ほどあったのですが、すべて何もなくなってました。

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▲ 世界的に有名な「田老の万里の長城(高さ10M×長さ2キロの防潮堤)」でしたが、海側に倒れてました。「引き波」のパワーは凄いですね。田老地区は「明治の三陸大津波」と「昭和のチリ地震大津波」で、壊滅的な被害をこうむり、戦後いち早く「津波防潮堤」を作り、「モデル津波防災都市」で、内外に有名でしたが・・・、ひとたまりもありませんでしたね。中心街はほぼ壊滅でした。

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▲ 人口密度で見れば「田老地区の被災者(死亡者600人か?)」が一番でしょう。大津波の高さが田老漁港では20Mほどですが、2キロ北の真崎海岸では40M弱の高さです。世界に誇る防潮堤があっても街は守れませんでした。

菅直人首相が陸前高田市に・・・。

私は昨日「陸前高田市」に出かけてきたのですが・・・、「高田松原」に行こうとしたら「警備が厳しく」(パトカーが1台常駐)、一般車両は通行止で、歩きでも駄目でした。何のことはない、今日のニュースで「菅直人首相が高田松原を視察」のニュースが・・・。

菅首相の言葉 「夏には大勢の海水浴が来る、名勝なそうですね。」と・・・。

トンチンカンな映像が流れていましたね~。なぜに「高田松原」を視察するのか、私には理解不能です。観光客気分と言うか、誰でも知ってる高田松原をバックに全国放送を意識したパフォーマンスとしか思われません。その手前の「国道45号バイパスの気仙大橋」が落橋してます。(6スパン×50M=300Mの鉄の大橋です)

私だったら、「300Mの気仙大橋の落橋には驚きました。鉄の塊を500Mも押し流す津波のパワーは凄いですね。直ぐにでも、自衛隊に仮橋を作らせます。その後は、今回の津波規模が来ても落橋しない橋を、菅内閣の名にかけて、必ず作ります。陸前高田市民に菅直人がお約束します。」とでも言うのですが・・・。

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▲ 「高田松原」です。菅首相の視察のお陰で、「立ち入り禁止」で、対岸からの撮影です。野鳥観察が主目的ですから、別にどうでもいいのですが、まだ「行方不明者が1000人以上いると言われている陸前高田市」に、わざわざ視察に来るパフォーマンスなんて、「被災者の感情」を逆なでしてます。そのてん、天皇陛下は「東京の避難場所を訪問」し、「被災地が落ち着いてから訪問します」とやさしいお言葉をのべました。

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▲ 「陸前高田市営野球場」です。高田松原と国道45号線の間にある野球場なんですが、完全に「水没」してました。地盤沈下か高田松原の砂を全部押し流したのかわかりませんが、国道45号線ぎわまで海(海水が来てた)になってました。たとえ復興できたとしても、この場所では「野球」はできないでしょうね。いつ津波で水没するかわからないので、落ち着いて野球をすることができません。

そうそう、双眼鏡で鳥見をしていたのが珍しいのか、変わったニュースが欲しいのか、いろんな「新聞社」「テレビ局」に声をかけられて大変でした。(取材はすべてお断りです)

陸前高田市では、「一番嫌いなのが菅直人さん、二番目がマスコミ」と被害者の皆さんが言っていたのを小耳にはさみましたね~。

「誰もいない高田松原」(陸前高田市)

陸前高田市の被災状況を見ていらい、何にもする気がおこりません。20代のころは、「海水浴は高田松原」に。30代前半は、自転車のロードレースの大会に出場していたので、「毎年、高田ロードレース大会」には出場していました。30代後半からは、「バードウッチングで年に10~30回は気仙川」に。仕事でも「気仙大橋(45号)」「姉歯橋」「矢作橋」「廻館橋」や、「高田市役所」「高田高校」「高田病院」などの「耐震調査」に出かけたので、陸前高田市とは30数年のかかわりがあります。まったく個人的な話ですが、陸前高田市とは浅からぬ縁がある街なんです。

一番ショックだったのは、「指定避難場所の市立体育館」が水没し、60数名が亡くなりました。自転車の大会の「前夜祭」の場所だったり、表彰式の舞台であったりと(一度2位の銀メダルをいただきました)、思い出深いところなんですが・・・。(合掌)

私は「鳥屋さん」なので、野鳥がいればこそ「野鳥と風景」は撮りますが、ほとんど「風景写真」は撮ることがなかったのですが、偶然フォルダーの中から「誰もいない高田松原」の写真が見つかりました。この「高田松原」は、市民の散歩コースだったり、野外活動センターで合宿する野球チームのトレーニングにだったりと、「必ず誰かはいる海岸」なんです。それが・・・、偶然にも・・・、「誰もいない高田松原」を撮影していました。

江戸時代に「津波から街を守る」為に植えた黒松なそうです。明治の「三陸大津波」には、津波防波堤の役目を果たし、高田の街を守った事実があり、それが・・・、今回は災いしたのかも知れません。地元の人の間では、「松原があるから、津波が来ても大船渡線の鉄道を越えることはない」が共通認識だったとか・・・。(市立体育館が指定避難場所でもあることから、信憑性がありますよね)

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▲ 「高田松原」です。この見事な2キロの松林は見ることができません。「平成の三陸大津波」で、松も全部なくなりました。これまでになるのに200年の時間が・・・。この風景を見るには200年後と言うことですね。

「東北関東大震災」 その7

洋野町で、もっとも低い場所(人家あるところ)が「JR八戸線・大浜川橋梁」のある、宿戸(しゅくのへ)地区です。幹線道路の国道45号線も「大津波警報」が出れば、直ぐに「前面通行止(迂回路なし)」になります。ちょうど1年前に、この場所で通行止になりました。八木地区側だったら、8時間も足止めを食らうところですた。その時は、種市側にいたので、早々と「探鳥を切り上げ」、盛岡に帰ってきました。

※ 前にも書きましたが、気象庁の大津波警報(戦後初の発令)が出て、50センチでしたからね~。(大津波警報は3M、4M、5M、6M、10M以上と数字を入れて発令する)たしか5M以上、場わいによっては10M以上と言ってたような。50センチで「8時間の足止めをくらった人」なら頭にきますよね~。

「311大震災」の第一報のニュースで、「洋野町の鉄橋が流されました」と叫んでいたので、たぶん「大浜川橋梁」だろうと思っていました。実際「洋野町」に出かけてみたら、予想通りと言うか、簡単に流されてましたね~。どうしても「赤字ローカル線」なので、「耐震補強」とか「落橋防止」の工事は、新幹線や本線になるので、列車が走行してなくてよかったですね。走っていれば、間違いなく「人的被害」が出てたでしょう。(この場所は13:30~13:40分の間に上りと下りで2本通過します。その後は15:30分頃の1本の通過ありなので、地震で列車が停止したでしょうから、大惨事は免れました)

■ 「JR八戸線・大浜川橋梁(洋野町宿戸地区)」です。

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▲ 道路橋に比べて、赤字ローカル線の鉄橋は「耐震対策」が貧弱ですね。ピア(橋脚)は残っているのだから、「耐震対策」をしていれば、レールは流されても、橋桁は大丈夫だったような気がします。橋桁さえ残っていれば、復旧は早いですよね。(1~2ヶ月)今回は年単位の時間が必要ではないでしょうか。(最優先は東北新幹線の全線開通でしょうから)

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▲ 「JR八戸線」では、この場所が(大浜川橋梁)が一番好きな撮影ポイントでした。「鉄道」に興味がない人のは、ただの「風景写真」ですが、好きな人には「キハ40・48系の気動車」にぞくぞくってきます。たまらんバイ。

「東北関東大震災」 その6

「ガソリン難民」なのですが、高速道路が通行可能になったので、「高速のスタンドで給油」を期待して、種市海岸に出かけてきました。高速のスタンドは「待ち時間は無い」のですが、2000円までしかガソリン給油ができませんでした。

軽米インターで降りると、出口近くにスタンドがあるのですが、こちらも「待ち時間無しの2000円の数量限定」でした。

洋野町のスタンドは「待ち時間無しの満タン給油」が可能で、311後に初めて満タンにできましたね~。ほんとラッキー!でした。

「ガソリン難民」がいるのは、盛岡近郊だけのような気がします。県北は、数量限定があっても「待ち時間が無い」ので、ほんと助かりました。

■ 311(さんいちいち)後の「種市海岸」と、その前の「すばらしい種市海岸」の写真を貼っときます。

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▲ 洋野町は人的被害(死亡0)がありませんでした。ひとえに「津波防潮堤」と「日ごろの避難訓練」が幸いしたと地元の人が言っておりました。確かに、種市の町には「海面より○○M」の看板があちこちにあります。(目安としては20M以上の高さに避難することなそうです)今回も、防潮堤の外にある、水産加工所、食堂、ウニ栽培センターに働いている人が30人ほどいたそうですが、皆さん直ぐに避難したそうです。防潮堤は、人がたっている地面が、海面より4Mほどで、一段目が3Mと、その上に「波返しのある防潮堤」が5Mなので、合計で12Mの高さですか。この防潮堤を津波が超えることがなく、家も人も被害がなかったそうです。

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▲ 震災前の「種市海岸のコクガン」です。なぜにコクガンが種市海岸に集まるかは、岩礁の海草が豊富だからでしょう。今回の津波で、「種市海岸の岩礁の海草」は綺麗に洗われ、ただの「石ころ」になってしまいました。来シーズンがどうなるかはわかりません。

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▲ 2003年3月22日に撮影した「ミサゴが営巣する岩」ですが、(岩はありましたが、少し崩れてました)、ミサゴは営巣しておりませんでした。この写真は仲良く4羽ですので、同じ家族だと思います。(たまたま一緒に渡ってきたのでしょう)でなければ、営巣場所の争奪戦がおこなわれます。(内陸の雫石で観察あり)

「東北関東大震災」 その5

震災から2週間がたちました。ニュースは連日連夜「震災か原発」ですよね~。「震災のニュース」は信用できるが、「原発のニュース」は、はっきり言って「話半分」で聞くことにしてます。と言うのは・・・、マイフィールドの「御所湖にソデグロツルが飛来」した時に、「電力会との交渉を経験」してた事があるからです。

毎日、毎日「グループにわけて計画停電をする」とか言ってますが、これって、電力会社の「ストライキ」と言うか「恫喝」ですよね。ようは「原発を容認しなければ、いつだって停電にするぞ!」と、東京都民を脅してるのです。(東北電力もポーズで手を上げて協力姿勢)

■ まずは、2005年10月30日に御所湖に飛来した「ソデグロツル」の写真を

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10月30日に「ソデグロツル」を見つけたのはいいのですが、次の日の朝、御所湖に出かけたら「なんか水位が上がってる」ような気がして、その翌日に「御所湖の中洲が沈没」したので、雨が降らないのに「間違いなく水位の上昇してる」と確信し、御所ダム管理事務所に「ダムの水門を閉めないように」お願いにいきました。

ダム管理事務所の話では、水位は「発電の為、岩手県企業局が管理している」とのことで、らちがあかないので、「企業局」にでかけました。そうしたら「東北電力から聞かなければ、勝手に水位を調整できない」と・・・。

早い話が、「国交省」よりも「岩手県」よりも、「東北電力のさじ加減」で、御所湖の水位が管理されていると言うことなんです。普通は考えられないことなんですが「お役所さまより、民間会社の電力様」なんですね~。(東北電力はえらいんです)

交渉事の詳しい内容は「ブログには書きません」が、東北電力盛岡支店の会議室に出かけました。(テロ攻撃にも耐えられるような分厚いコンクリートの壁のビルの中。セキリティチェックも凄く厳しかったですね。)会議室には10人位がゾロゾロと「数で私を圧倒しようとしたのかも知れませんが、逆に「闘志」がわいてきました。

早い話が、「野鳥1羽の為に、発電をストップするわけに行かない」「御所湖の水位は計画通り上げ、発電を岩手県企業局にお願いします(ほとんど命令)」と・・・・。私は、「そこまでおっしゃるなら、仕方がないですね~。どうぞ水位を上げて発電してください」と。

しか~し、今日のここでの話は、全部自分のHPに「公開」するので、「1週間後に電力社長と増田知事の謝罪会見がないことを願ってますよ。なんせ、本物のレッドデーダブックに記載されている、世界の珍鳥ですからね~。環境にやさしい岩手県、エコを宣伝する電力会社のイメージダウンをしますよ。」

最後のきめ言葉は「知事選挙も近いし、100株ですが、私、東北電力の株主です。(事実です)総会が楽しみですね」と言って席を立ちました。(正確には立とうとしたら)

「ちょっと待ってください」「30分時間を下さい」「仙台と協議します」と・・・・。こう言うことに対しての「頭の回転」は早いみたいで、30分後の結論は「御所湖からソデグロツルが飛び立つまで水位は現状維持します。(餌が捕れると言うことです)

後から私がこ耳にはさんだ話として「女川原発が休止中で、喉から手がでるほど「電力」がほしかったそうです。(東北の冬は厳しいので、電力が逼迫する)そんなもんで、「東京電力福島発電所(原発)から、電力を買わなければならなかった(1日何百万らしい)」とか。

※ 今日は、あまりにもニュースで「福島原発」が騒がしいので、「ソデグロツルと電力の話」を思いだしてしまいました。

「東北関東大震災」 その4

気仙川河口に探鳥に出かけて20年近くたちますが、「高田松原」には8Mほどの津波防潮堤があるし、河口から3キロ上流まで、両岸に8Mの堤防があるので、安心して「鳥見」をしてました。とりたてて、「風景(環境写真)」は撮っていなかったので、あまり数は持っていません。が、その中から、数少ない「気仙川の環境写真」を、自分のファイルから何枚か探し出したので、「震災前」と「震災後」を見てください。(目当ての鳥もUP!します)

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▲ 気仙川河口から5キロほど上流に「JR大船渡線・気仙川橋梁」があります。(赤い鉄橋です)この場所は20年ほど前に、仕事で縁があって(矢作橋)、毎日この場所で「BWをしながら昼食」を食べてました。 最近では2009年に「廻館橋」(鉄橋の奥の橋)の仕事に来たので、私のかかわった2橋(矢作橋と廻館橋)は、津波に負けませんでした。20年通いつめていますが、「南三陸のベスト探鳥地」ではないでしょうか。いまだに10M以上の津波がここを通過して、7キロもさかのぼったなんて、信じられません。

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▲ 対岸のコンクリートの建物の屋上に、高田松原の太い松が乗り上げてます。津波のパワーはものすごいものがあります。それと・・・、堤防を見てもらえればわかるのですが、「コンクリート護岸」は壊れてません。昨今の風潮として(何もわからない自然保護団体が)コンクリート護岸工事は駄目と・・・。何かと言うと「自然にやさしい」と訴えますが、コンクリートの防潮堤、コンクリート護岸が無ければ(土の堤防ならば)、今回の「東北関東大震災クラスの地震」では、間違いなく10倍の死者(20万人)が出たと思います。

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▲ 気仙川河口の象徴的な橋である「姉歯橋」です。鉄のトラスト橋ですが、以前は地味な「灰色」でしたが、今年の2011年3月20日工期(完成)で、「薄緑色」にお色直しをしてました。もう「完成検査待ち」だったと思いますが、大津波のパワーに押し流されました。そうそう、「姉歯橋」と言えば、「ハジカイの夏羽の撮影ポイント」ですね。

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▲ 「オカヨシガモ」です。20年前は気仙川河口でも、ほとんど見ることができなかったのですが、2000年以降、50±の数を見れるようになりました。岩手県沿岸では、宮古市より北が「シノリガモ」がよく見れて、宮古市より南が「オカヨシガモ」がよく見れますね。

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▲ 「高田松原」をバックに、「コクガン」を撮影してみました。実は・・・、3月11日は、「高田松原とコクガンの撮りなおし」に来る予定でした。やはり、「青い空と海」でなければ「三陸の野鳥写真」ではないので・・・。でも、あまり「欲張らない」のが幸いしました。臨機応変に「鉄道写真」になったり、「滝の写真」になったりと、わけのわからないことをやりだしたお陰です。それに「デジ一眼での動画」も・・・。

「東北関東大震災」 その3

内陸100キロに住んでいますが、大方の岩手県人は「地震だ!津波だ!すぐ逃げろ!」が頭に入っています。個人的には、海岸に出かけて「津波注意報」に遭遇し、非難したことが2回あります。が・・・、その中で、ちょうど1年前の(2010年2月28日。Am9:30頃)「大津波警報での肩透かし」がありました。地震があれば、三陸海岸では「津波警報」はそれほど珍しくはなく、頻繁にテレビ、ラジオ、や消防団の巡回でわかります。

その時は「大津波警報」が初めて気象庁から発令されました。(大津波警報は5M以上の津波だったと思います)洋野町の八木地区の国道45号線が「通行止」になり、防潮堤の水門も閉められ、「コクガン観察」が出来なかったので、今でも鮮明に覚えてます。「津波」は50センチでした。その時は「津波警報で50センチなら納得できるが、大津波警報で50センチなら、大事な休日を返してくれ!」と怒りましたもん。正直に言えば「気象庁(仙台管区気象台)の大津波警報はあてにならない」と。初めての大津波警報の発令が、「気象庁のパホーマンス」じゃないかと疑いましたね~。

今回の「東北関東大震災の大津波警報」も、1年前の「大津波警報」があるから、実際、沖合いの津波を見て、あわてて避難した人もいたんじゃないかな~。または、10Mの防潮堤で街が守られているから、「大丈夫」と考えていた人も(大津波警報と言っても1Mの津波も来ないと判断)いたことでしょう。

気象庁(仙台管区気象台)の罪は重いです。

■ 「東北関東大震災」の大津波で、一人の死者も出さなかった町がありました。私がよく「コクガン観察」に出かける洋野町です。ちょうど2年前に完成した防潮堤(高さ12M+1、5M=13、5M)が、その威力を見せてくれました。ちまたでは宮古市田老町の高さ10Mの津波防潮堤が有名ですが、(地元では世界一の防潮堤と言ってます)今回の大津波では防ぐことができませんでしたね。今後は「種市海岸の防潮堤が世界標準」になるんではないでしょうか。

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▲ 2010年2月28日は、チリでの巨大地震だったので、ゆれがなく、「いきなり大津波警報」が出て、水門の中に退避されました。消防団の人の話では、遠隔操作(久慈市とか言っていた)で、2分で水門が閉めることが出来るようなことを言ってました。当然間に合わなければ、車をすて、防潮堤の階段を登って逃げなければなりません。

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▲ いつも津波防潮堤の外に出て撮影してます。波が高い時は、「ライフジャケト着用」で撮影してます。数年前でしたが、「双眼鏡にライフジャケット」ですから、「密漁監視員」に間違われて、テトラポットから、あきらかに密猟者が3人ほど走って逃げていきました。

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▲ 種市海岸は「サーフィンのメッカ」なので、よくサーファーが出没します。2000年以前は、3月だとほとんどサーファーは見ることがなかったのですが、「スーツの素材」が良くなったのか、真冬でもいい波の時は、サーファーを見ます。

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▲ 「種市病院」です。どんな大津波が来ても大丈夫なように、「役場と病院」は高い所に建てるのが常識なのですが・・・、そうでない町もありました。役場も病院も全壊でしたね。

「東北関東大震災」 その2

仕事がら、「震災」には縁がある関係で、いろんな所に出かけてきたが、今度の「東北関東大震災」は想像以上のひどい被害です。個人的な思いですが、「過去最高、一番ひどい」ですね。

「阪神大震災」後に、全国的に、いろんなビル、橋、などは「耐震基準の見直し」で、補強工事が行われたので、地震による「崩壊」はありません。陸前高田市でも、4橋が落橋してましたが、すべて「津波」によるもので、地震の揺れでの落橋はありませんでした。日本全国、巨大な地震があっても「ます大丈夫」と言うことです。

木造住宅の崩壊も、地震によるものではなく、「津波による崩壊」でした。古い木造の「市営住宅」がひつつも壊れていなかったので、(山の中腹にある不便な場所が幸いでした)やはり「津波のパワー」は怖いですね。

陸前高田市しで撮影した写真をまずは見てください。

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▲ 鉄道の「気仙川橋梁」です。落橋してますが、川の流心の桁は、鋼鉄製なのですが、100M上流まで押し流してました。もっと驚いたのはピア(橋脚)のひとつが、150Mも押し流していたのに、口があんぐりです。(コンクリートの塊なので100トンはあるんじゃないかな?)

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▲ 「気仙川サケマス増殖場」が跡形も無く、泥砂とがれきの山になってました。

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▲ 「矢作橋(矢作川)」の上から、矢作川上流を撮影しました。気仙川河口から5キロも上流で、直角の支流なのですが、車も下から押し流してます。

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▲ 「陸前高田市街の中心部」です。雰囲気のあった木造駅舎の「JR陸前高田駅」も阿智方も無く、ただのがれきになってしまいました。

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▲ 気仙川の象徴だった「姉歯橋」の袂から、陸前高田市街を撮影しました。

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▲ 「姉歯橋のピア(橋脚)」だけが残ってます。ただ、大きな亀裂が垂直に入っていたので、もう使い物にはならないでしょう。

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▲ 「姉歯橋の本体」です。ピア(橋脚)から200Mほど押し流してました。2週間前に気仙川に出かけた時に、「塗装工事」が行われてましたが、綺麗に色なおしが行われたぶん、無常を感じます。歩道端の一部は、廻館橋下まで流れていたので、津波が3キロも押し流したことになります。

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▲ 気仙川北側の堤防から、高田中心市街を撮影しました。

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▲ 「JR陸前高田駅」手前1キロほどの場所です。線路の枕木も見えないほど、大量の砂が海から運ばれました。

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▲ 「車の持ち主さん」は大丈夫だったのだろうか?

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▲ 「ランドセルの持ち主」は、無事逃げることができたのだろうか。

 

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